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神戸光徳

SPS理事/GPS副理事長

群馬県前橋市出身。父の影響を受け打楽器を始める。 第1回日本ジュニア管打楽器コンクール第3位。 友石武彦(元群馬交響楽団)百瀬和記、Duncan Patton (元メトロポリタン歌劇場)、Christoper Lamb(ニューヨーク・フィル) Alon Bor(元イスラエル・フィルハーモニー)、 清水太(元群馬交響楽団、現東京交響楽団)、 Anton Mittermayr(ウィーン・フィルハーモニー)の各氏に師事。 東京藝術大学入学後、マリンバ奏者小森邦彦氏のアメリカ東海岸マスタークラスツアーに同行したのを機に留学を決意。ロチェスター工科大学・NYコロンビア大学にて語学研修の後、 NYマンハッタン音楽院に編入。語学研修時代、イーストマン音楽院の教授や地域住民とのご縁から教会での演奏や子供への指導を始める。 2004年PMF音楽祭に参加。ゲルギエフ、ファビオルイジなど本物の指揮者を初体験。 NYマンハッタン音楽院在籍中、当時アメリカンシンフォニーオーケストラ・エルサレム交響楽団音楽監督のであったレオン・ボットスタインに見いだされ、エルサレム交響楽団にティンパニ・打楽器奏者として入団。エルサレムへ移住。 エルサレム響ではアメリカ横断ツアーやエルサレム旧市街地野外コンサート、紛争地域近辺への慰問コンサートなど歴史的土地ならではの経験を積む。またパレスチナ・ベツレヘムにて世界的指揮者バレンボイムとオリエンタリズムで有名な作家のエドワード・サイードが立ち上げたバレンボイム・サイード財団でパレスチナ難民への子供向け打楽器ワークショップを開催。教育環境の大切さを痛感する。 その後テルアビブにある世界屈指のオーケストラ、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団にティンパニ・打楽器奏者として入団。ズービン・メータの指揮・監督のもと、研鑽を積む。 イスラエル・フィル在籍中、日本を含む数十カ国への演奏旅行に参加。ルツェルン音楽祭、ロストロポーヴィチ音楽祭、ボン・ベートーヴェン音楽祭、上海エクスポ閉会式その他カーネギーホル公演など多数の音楽の殿堂を経験。ロンドンで行われたBBCプロム音楽祭ではイスラエルへのデモ抗議活動にあい、プロ市民による演奏中の妨害やホールの外で行われたデモからの警戒移動など貴重な体験をする。当時中東唯一のアジア人奏者として海外メディアから取材を受ける。マリンスキー劇場など他オーケストラへも客演。 また定期会員数万人と言われるイスラエル・フィルの資金調達、広告戦略、人材マネージメントなど世界での生き残り戦略の重要性をオーケストラから学ぶ。 ゲルギエフ、ムーティ、バレンボイム、ペトレンコ、ブロムシュテット、ズッカーマン、ブロンフマン、ブッフビンダー、ラクリン、ズナイダー、ズービン・メータなど世界の第一線で活躍し続ける巨匠音楽家との仕事は人生の貴重な財産となった。 30歳を機に完全帰国。日本各地のオーケストラで客演奏者として活躍、その後4年間、神奈川フィルハーモニー管弦楽団特別契約首席ティンパニ奏者として活動。 近年はドーマンメソッドと音楽を取り入れた幼児教育にも力を入れている。

Pearl楽器 アーティストアドバイザー